八重山諸島と石垣島について
・八重山諸島
沖縄県の島々にはそれぞれの名前が付いています。
九州より奄美大島なども含めて西表島までを南西諸島と呼び、鹿児島県内の島々だけを呼ぶ場合は奄美諸島と呼ばれます。
また沖縄本島を含めたそれ以南の島々を琉球列島と呼びます。
沖縄県の名前も、『沖に縄のように伸びる島々』と言うところから『沖縄』と名づけられました。
沖縄本島以南の島々だけを呼ぶ場合は先島列島と呼びますが、これは沖縄本島より先にある島々を意味します。
宮古島周辺の島々は宮古群島と言いますが、石垣島を含む以南の島々を八重山諸島と言います。
これは、山々が八重に重なるような姿をしていたので『八重山(やいま)』と呼ぶようになりました。
それぞれの呼び名は昔から呼ばれていたようにも思いますが、実際は外の地域から見た呼び方であることを紹介しておきます。
・石垣島
石垣島は人口約5万人で、那覇から南西へ約420kmの海洋に浮かぶ亜熱帯の自然と都市機能がマッチした島です。
周囲は162kmで、沖縄本島、西表島についで3番目に大きな島です。もちろん八重山諸島の主島となるのは石垣島です。
島の南側にはリゾートホテルやショッピングモールが完備され、人口の8割は南側で生活をしています。
都市化された市街地周辺には赤がわらの家や珊瑚の石垣、フクギ並木が昔ながらの風景を残しています。
景勝地や観光地も多く存在していますので、順に紹介していきましょう。
川平湾(カビラワン)
黒蝶真珠の養殖で知られる石垣随一の景勝地です。
全国で8ヵ所しかない国指定名勝地も選ばれています。砂浜と海、空、湾内の島々のコントラストが言葉にしがたいほど美しくあります。
ちなみに、ミシュランガイドの旅行編で三ツ星をもらっています。
底地(スクジ)ビーチ
石垣島の代表的なビーチでどこまでも続く美しい砂浜と遠浅で波の穏やかな海は海水浴にももってこいです。
ダイビング、シュノーケリング、ウンドサーフィンなどのマリンレジャーにも最適です。
フサキビーチ
ホテル内のビーチですが、ビーチから眺める夕日は言葉を失うほどです。
御神崎
石垣島の西側に位置し、白い灯台と断崖や奇岩の今トラトラストが見事な眺めです。
春にはテッポウユリが咲き乱れ、夕日も美しいスポットです。
平久保崎
石垣島の最北端にある岬です。広々とした丘陵に牧場が広がり、牛がのんびり歩く牧歌的な光景が見られる場所です。
石垣島最北端の碑で記念撮影もいいですね。
玉取崎展望台
石垣市街地から車で約40分の見晴らしのいい展望台です。左には東シナ海の伊原間湾、正面に平久保半島を挟んで右側には太平洋の珊瑚礁が広がります。
周辺には年中ハイビスカスが咲き乱れる展望台です。
名蔵アンパル
名蔵川が名蔵湾に流れ込む名蔵大橋付近は網張(アンパル)と呼ばれる干潟とマングローブ林の広がる地域です。
様々な野鳥の飛来地でもあり、2005年にはラムサール条約登録地になり、2007年には、石垣西表国立公園の特別地域にも指定されました。
宮良川
宮良川のマングローブ林は天然記念物に指定され、石垣島では最大規模を誇ります。
現在はこのマングローブ林をカヌーで下るのが人気です。
野底マーペー
黒島からの強制移住によって引き裂かれたカップルの女性『マーペー』が、島に残った男性を思い続けて山頂で石になってしまったという物語が残る山です。
現在では少々厳しめの登山コースが用意され、山頂では360度の大パノラマが楽しめます。
バンナ公園
標高230mの森林丘陵地帯にあり、日本最南端の森林公園として整備されています。
市民を対象に植物園、ピクニック園などの工夫もされていて、休日を家族で過ごすには最適の場所です。
石垣島国立天文台
九州沖縄で最大の望遠鏡を備え、太陽系の惑星や彗星、小惑星を研究しています。
一般公開されており、土日、祝日は天体観測会も行われています。石垣島では南十字星を見る事もできるんですよ。
唐人墓
1852年、中国からアメリカに送られる労働者たちを乗せた船が石垣島沖で座礁しました。
王府と島民によって、一部の人が保護される事になった。その時の犠牲者を祀るために1971年に建立されたお墓です。
権現堂
1614年に隣の桃林寺と一緒に建てられた朱色の門が特徴の寺院です。
1771年に石垣島を襲った明和の大津波によって倒壊しました。
その後の対戦でも壁などが崩壊したが、修復されて現在では国指定の重要文化財になっている。
桃林寺
1609年に薩摩藩が琉球を侵攻しました。
その支配下に置かれた石垣島では薩摩藩の検地によって寺院がない事を指摘され、1614年に建立された石垣島初の寺院で桃林寺です。
730交差点
離島ターミナルから繁華街にでる交差点を730交差点と呼んでいます。
これは1972年に沖縄県が日本復帰した後、道路が右側通行から左側通行に切り替わった日『1978年7月30日』当時、唯一信号があった場所です。