城跡以外の世界遺産について

玉稜
玉稜は琉球王国第二尚志の国王が葬られている稜墓で、首里城の目の前に建設されて破風墓です。
中室、東室、西室の3つの建物に別れており、中室は葬儀後、遺骸が骨になるまで放置するための部屋でした。
数年したら骨を取り出し、海で洗骨し王と王妃は東室に、王族は西室に収められました。
第2次世界大戦中は首里城にも近かったため集中砲火の巻き添えになり、東室と西室が破壊されてしまいました。
現在見られる物は第二次世界大戦後に復元された物になります。
園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門は16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であり、首里城の玄関口『守礼門』と『歓会門』の間に作られています。
そもそも『御嶽(ウタキ)』とは『拝所』の事であり、石門は拝む場所になります。御嶽自体は背後にある森の事をさしていて、国王が各地を巡航そるときに必ずお参りした場所でした。
園比屋武御嶽石門の背後の森は国家の聖地であり、『田の上のソノヒヤブ』という伊平屋島の神を祭っているとされています。
園比屋武御嶽石門も他と同様沖縄戦において戦禍を被り1957年に復元されました。
識名園
識名園は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の1つであり、首里城の南にあることから南苑とも呼ばれていました。
造園は琉球の第二尚氏王朝の時代に始まったとされていますが定かではなく、完成は1799年になります。中国様式と沖縄独自の様式が折衷されて建設されており、中国皇帝の使者『冊封使』をもてなす迎賓館として利用されていました。
園内には展望台がありますが、海が見えない設計になっていて、琉球をより大きな国に見せるためとも言われています。
また正門から続く石畳道は『真珠道(マダマミチ)』と呼ばれ、かつては首里城とを結んでいましたが、現在は金城町に一部が残っているだけです。
沖縄戦では園内のほとんどが破壊され、現在の建物はすべて復元された物になります。
斎場御嶽
沖縄県南城市(旧知念村)にある史跡で15世紀から16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽です。
また、『せーふぁー』は『最高位』を意味するので、最高の拝所という事になります。
斎場御嶽は王国最高の御嶽だったのですから、当然その管理も国家の最高神職である『聞得大君(きこえのおおきみ)』が管理していました。
かつて琉球の御嶽はすべてが男子禁制であり、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(ウジョウーグチ)を超えて進入する事は許されず、国王であっても御門口よりさきに入るには袂の合わせを女装に改める必要があったといいます。
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